素晴らしい若者の話(介護士)

旅立ちの「ありがとう」は私の宝物

私の82歳の母が入所している施設でのことです。会いに行った後で母の入浴の時間となり、施設の休憩室と食堂が一緒で母の時間待ちをしていたところ、その休憩室に若い30歳頃の男性で介護士と思われる方が休憩来られました。

その介護士の方に施設の事とか母の話などを聞いておりましたが、私自身が母の介護で苦労し身も心もボロボロになった事を思うと、この若者がどのような気持ちで大変な介老人護の仕事へ進まれたか聞いてみたくなり、お話を聞かして頂きました。

彼は子供が好きで運動が得意だったので、自分の将来に向かっての大学を選ぶ過程で選択したのは、得意な運動を活かせて、子供との接点を持てる幼児保育科の体育コースに進む事を決めたとの事でした。

大学を卒業した後は、希望の幼稚園に就職し目標としていた運動の新米先生となりました。子どもの好きな彼は、誰よりも早く園児たちとの交流もスムーズにこなし、人気者で園児たちに慕われるお兄さんとして楽しく働いていたとのことです。

そして1年が過ぎ2年目を迎え仕事も分かり全てが上手く回り始めた24歳頃の記憶だったと言っておりました。

彼が話すには、『私は今の仕事に満足している自分の心中で、何かがふつふつと湧いてくるのを不思議な感じで受け止めていたように思えます。決して今の仕事に不満が有るわけでなく、楽しく働いているのですが、私の仕事はこれでいいのだろうか? 疑問を持ち始めました。何かが自分を突き動かしている様でなりませんでした。

その何かが解らず2ヶ月が過ぎた頃です、出勤途中の急ぎ足でいつもの公園を横切って通りの道に出ようとする所で、前から来たお婆さんが何かにつまずいたのか、お婆さんの杖が私の前に転がって来たのです。

杖を拾いお婆さんを抱えて立ち上がらせて、「大丈夫ですか、お怪我は有りませんでしたか」と声をかけのですが、お婆さんは「何ともありません、大丈夫です、有難う御座います」そして「あなたは優しい子ですねー」と答える笑顔を見た瞬間、フラシュバックのように父方の大好きな幸子お婆ちゃんとダブって見えたのです。

再度「有り難うね~」と礼を言って朝の散歩から帰る後姿を見送っていました。幸子御婆ちゃんはもう13年前に亡くなっていたのですが。

その日は仕事に追われ朝の出来事はすっかり忘れていました。帰宅しての夕食は出来るだけ自分で作るようしているのですが、仕事で疲れた時は面倒なので、帰りにコンビニで買った焼きそばと昨日の残りのご飯を温め簡単に済ませました。テレビを見て夜もおそくなったので、沸かしていたお風呂の湯船にゆっくりと体を沈めていた時のことです。

ふっと朝の出来事が思い出されてきました。朝の助けたお婆さんの顔を見たときに、なぜ幸子お婆ちゃんとダブって見えたのだろうと、その出来事が思い出されてからは、大好きな幸子おばちゃんとの思い出が、次々と駆け巡り頭がいっぱいになりました。

私が小学校に上がる前の年に父は家を出て行き両親は離婚しました。そして母と5歳上の兄との3人で暮らす母子家庭の生活が始まりました。

離婚という忌まわしい事の起こる前までは、兄が私をよく可愛がって、一つのお菓子も半分にして大きい方をくれたり、ある時は自分を我慢して一つ全部を私にくれたりする優しい兄を覚えています。

しかしこの頃からだと思います、兄は自分が面白くないと、私をいじめ痛めつけ暴力を振るうことで、何かのうっぷん晴らしとしていた様に思えます。

母親は働きに出るようになり、帰宅する時間も遅くなることが多くありました。未だ幼い私はいじめや、暴力に対しての我慢するすべがなく、毎日が地獄のような日々を過ごしていた辛い苦しい事は忘れられません。

こんな時、父親の実家であるお婆ちゃんの所へ行くことが私の唯一の救いでした。小学校を上がったばかりの子供の足で30分は掛かる道を、涙を残したまま息せき切ってたどり着くと大きな手で涙をぬぐい優しくしっかりと抱きしめてくれる時、今まで我慢をしていた感情が一気にあふれ出し大きな声を出して泣いたことを今でも覚えています。

私が落ち着くころを見計らって、家では食べられないおばあちゃんが取って置いてくれたおはぎを貰って口にほおばった時の、甘くて美味しい味は今でも忘れられない思い出です。

家庭内の状況は変わることなく、兄の益々すさんでいく状態の中、母親が何とか元に取り戻そうと最初の頃は努力していましたが、兄の成長と伴に自分の力でどうにも出来ないと諦め投げ出し、全ての責任は父親にあると自分に言い聞かせ整理のつかない納得が、結果として放棄し無干渉になりました。

居場所を無くした兄はさらに蛮行が激しくなり、とうとう暴走族、そして少年鑑別所を出たり入ったりの生活に迷い込んでしまいました。この間私は、兄の根拠のない暴力に苦痛と恐怖に耐える数年間の日々が続いていました。

お婆ちゃんに会えるのは、離婚協定で許された週一回の父親宅への訪問許可日でした。母は嫌がっていましたけど、私には週1度の父の実家である幸子お婆ちゃんに会えるのが唯一の楽しみにしていました。

母に分かればお目玉を食らうのですが、母の目を盗んで時々訪ねては、お婆ちゃんに家庭での耐える苦しさ、辛さ、を話すのですが、いつも優しい目で「あなたの言っている事はよく分かりますよ、よく我慢して、偉いね」と全てを包み込んでくれる時に得た安堵さは、私にとっては何にも代えがたい平和で安らぎのひと時でした。

それから数年後の中学生になる前の年、私の記憶から忘れることの出来ない不思議なことが起こったのです。お婆ちゃんは前から悪かった心臓病併発で、病院の入退院を繰り返しており、その時は入院していました。私は学校から帰りランドセルを机に置いた時のことでした。

胸騒ぎがしてどうしてもお婆ちゃんに会いたい、この気持ちが昂ぶり抑えられず、運よく家にいた母親に狂ったようにお願いしたのを覚えています。

余りの異常さに母も根負けし、別れた父に連絡し車で迎えに来てもらい病院に行きました。大好きな幸子お婆ちゃんは、息をするのが苦しそうな様子です。ベットの周りには医師や看護婦が慌ただしく囲んでいました。

お婆ちゃんと目が合うと力なく私を手招きします。何も言えずお婆ちゃんの痩せて骨と皮の手をしっかりと握り、涙が止めどなく流れるのを忘れられません。間もなく大きく息を一つ吸ったと思うとそのまま帰らぬ人となりました。

小学5年の私は、あんなに優しくしてしくれたお婆ちゃんをもっと看病して上げられなかったのか、後悔の念を脱ぎ切れず申し訳ない気持ちのを長く持ち続けていたことを、そして今でも私の中に強く鮮烈に刻みこまれている事を知りました。

 

この事が私を心の中で突き動かす原因であったことを知らされました!

それは暗闇の中からはっきりと明示されたように思え、自分の仕事に対する道への確信が持てた時だったと思います。

私に出来なかった幸子お婆ちゃんの介護を、今必要とする人たちに行う仕事に就くことが使命であり、本来私が望んでいた職業であった感じられると、今までの仕事に対する疑問や迷いは吹っ切れていく自分を感じ取る事が出来ました。

そしてあの自分の心に沿った決断をした時、幼稚園の園長さんから、「あなたは子供たちに慕われるいい先生で退職されるのはとても残念です、しかしあなたのその気持ちを大切にしたいと思います。また一から介護職員として働くことは大変ですが、幼児への優しさは老人への優しさにも合い通じるものです。

あなたはきっと素晴らしい介護士になられると思います」と暖かい励ましのお言葉を頂いたことは、私自身にとって新しい仕事への自信と勇気を頂くことになりました。

 

あれから6年の歳月が経ちました。今は医療法人の老人介護施設で仕事に勉強と寝る間を惜しんで励んでいます。介護現場での実際の仕事は私には何とも思わないことでも、人の嫌がる仕事もあります。

しかし仕事で一番辛いことは、自分ではどう仕様も出来ない人の命の終わりと向き合う事です。この哀しく、つらいと思うことを乗り越えることは、親族でも周りの介護をしている人たちも、答えが有りません。

ただ私が言えることは、旅立つ時に苦痛を持たず、微笑みをもって行かれることが最高の介護ではと思えるようになりました。

なぜなら私がある時受け持った末期がんの患者さんで、ご家族の方が余りお見舞いに来られず寂しくなされている方でした。

外の空気が好きだと言われ、車いすを押しよく散歩に出かけては色々な話をなさり聞いておりました。旅立たれる前日の散歩に出かけた時です、ご自分で悟られたのか『気持ち良い時間を沢山つくって頂いて楽しかったわ、、、本当にありがとう』と言われたのです。

ご自分の死を悟り受け止め、安らかに旅立って行かれた方の「ありがとう・・・」は私の心の宝物となりました。

私はお婆ちゃん子で老人に愛され、愛を施す悦びを他の誰よりも知っている思いは、介護の仕事を楽しく思えることが出来るご褒美として、幸子お婆ちゃんに頂いたと思っています。そしてやすらかに旅立たれて行かれる方の「ありがとう・・・」を宝に働いています。』

 

このたび、まだ29歳という若者が、老人介護にかける仕事への誠実で真っ直ぐな愛情をもって当たる姿勢を聞かされて、尊敬の念を抱かずにはいられません。幼少期からの困難な環境の中で、めげずにお婆さまの深い愛情を人生の糧として、大きく咲かせた他の人への愛情は、多くの人にきっと笑顔と幸せを運んでくれる力になると信じて止みません。

人(自分)の喜びの深さは、「他の人に喜んでもらえる事で得られる喜びが、ほかのどんな喜びより深く大きい」事を知る良い機会に恵まれたことを、この度のお話聞いて本当に感謝しております。

 

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